クルド人難民Mさんを支援する会 ブログ

日本で難民申請をしているクルド人の難民、Mさんを支援する会のブログです。支援の状況をタイムリーにお知らせします。 支援会本サイトはhttp://chechennews.org/msan/です。

12月28日(木)Mさん仮放免お疲れ様会

収容所から出てきたMさんを励ますため、支援会メンバーでMさんを囲んでお食事会を開きました。

Mさんは最初、食欲が無い、と言ってほとんど食べず、声も小さく、口数も少なかったのですが、支援者の方が、気を遣っていろいろMさんに話しかけてくださるうちに、Mさんもだんだんと話し出してくれました。
Mさんが一番力を込めて話してくれたのは、クルド人の抑圧の歴史についてでした。

1923年にトルコ共和国が建国されたが、トルコ共和国建国の父とされているのが初代大統領のケマル・アタチュルクです。ある日、アタチュルクに、クルド人の代表者が電話で「明日から開会される会議に、クルド人は自分たちの服を着て出席するが、いいか?」と確認したところ、アタチュルクは了承し、クルド人の議員たちは喜び勇んでクルドの衣装を着て議場に向かったそうです。しかし、議場の入り口で「その服を着るなら議場には入れない」と言って、クルドの議員たちを逮捕し、トルコ東部に送ってしまったとのことでした。

元気が無かったMさんでしたが、クルドの抑圧について話すときは目に光が入り、とても力強く話していました。クルドについて知ってもらいたいという気持ちが強く伝わってきました。

その他、入管の収容所の食事は、白いご飯は温かいが、おかずはまるで冷蔵庫から出したばかりみたいに冷たいので、同室の人が温める工夫をしていて、コンビニで購入したポップコーンの袋(銀紙でできている?)におかずを入れて、牛乳を2~3滴垂らし、湯沸かしポットで温めていたことなどを話してくれました。

また、収容所には、日本人と結婚しているにもかかわらず、在留資格を得ることができず収容されてしまった人や、留学生として学校に通っていたものの、学費が払えなくなってしまい、収容されてしまった人のことなども話してくれました。留学生として来ていたその人は、漢字が読めるくらい日本語を知っていたので、Mさんに差し入れした雑誌や新聞記事は、その人に読んで貰ったとのことでした。

面会にも来てくれた支援者の坊やは、Mさんと面会した時に描いた絵を、Mさんにプレゼントしていました。早くMさんが収容所から出られるように、家を描いたそうです。

収容所を出てからも、Mさんは生活のことや病気のことなど、悩みは尽きないようでした。しかし暗い話ばかりをしてもあれなので、今年こそ在特を取って、病気を治しましょう!いつかケバブ屋を開くという夢を叶えましょう!と支援会のメンバーみんなで励ましました。
Mさんはありがとうございます!と嬉しそうでした。
外は冬の寒さが身にしみましたが、空には月が明るく輝いていました。

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